まだ終わらない
『読まなければ』と思った本は久しぶりだった。
主人公が自分とおなじ苗字だったこと(あ、個人情報。)や、その歪んでいく様、仕事に対する考え方等々、様々な要素でのめり込んであっという間に読めた。
主人公はわたしであり、現代社会を生きる女性の姿でもあり、誰彼に起こったことが少しずつ歪みながら書き連ねてある本だった。
ちょうど2日前に意気込んだ決意が見事に打ち砕かれてしまって、途方に暮れていたのでタイムリーだったのか。
それとも、ずっと抱き続けていた『女と仕事』というテーマへの漠然とした疑問が、結局疑問のままで終わってしまうのだと感じたからか。
どうにもこうにも、処理できない感情で溢れてしまっている。
この年末になって。
何が欲しいのか。何なら手に入るのか。それを手に入れるためには何を手放さなければならないのか。何なら手放せるのか。
ずっと考えてきたような気がする。いやとらえられてきた、といったほうがいいかもしれない。
涙すら出ないほど、心臓に刺さる言葉だった。この主人公と同じように、わたしも30代40代で思うのだろうか。
この女性がまとう、ぞっとするような孤独
一人の女性にこう感じた 主人公は、自分の抱える矛盾がこの孤独に変わることを望んだ。その気持が痛いほどわかる。そもそも、孤独を本当に受け入れることが出来るのならば、それほど生きやすいことなんてないんだ。
作中で『歪んでいる』と表現されていた感情は、多くの女性が共感できるんじゃないだろうか。
あぁあぁ、わかるわかる。わかるよ。あぁぁ。的な。
わたしが住んでいる田舎では、27歳のわたしは完全な『いき遅れ』なわけで、実際、ある程度この作中にあるような『歪んだ』感情を抱くような恋愛もした。感情の捏造も容易いもんだ。被害者面して悲観的に泣くことも、加害者面して罪悪感に潰されてみることも出来る。
しかしそんなことしてみたって、現実でうまくいかないもんはいかない。
うまくいかない、なう。
わからないのかと驚愕するわたしと、わからないと真剣に悩む彼。
なぜなんだと苛つくわたしと、じゃあどうすればいいのかと苛つく彼。
もしも今わたしたちが二十歳そこそこの若い二人なら、こんなことはどうでもいいことなんだけれど。そうはいかないのだ。オッサンオバサン、大人なのだ。
すり合わせの必要性を説くには、相手が歳を重ねすぎてる。そして別々に生きてきた時間が長すぎる。 ついでに2人して口下手話下手心開く下手なのです(めんどくせ)
そして何度も思い出す。わたしも同じように責められたことがあるなって。その度に傷つき憤ったけど、相手からしたらもっと大変だったろうな。こうしてわかるんだよね。経験て必ずしも悪ではなく、愛する人を大切に愛するために必要な場合もある。
あと10日でカップルはウッキウキのXmasだっていうのに。
そしてもう半月で、年末という大きな節目なのに。
怒涛の如く流れた今年の後半。まだ安堵の溜息は付けないのか。