祖母が死んだ
4日前に父から連絡があって、あっという間だった。
去年の11月に祖父が逝って、追いかけるように逝ってしまった。
わたしの30年弱の人生の中で、唯一『無条件の幸せ』と呼べる時間。
それが祖父母のいた、生家での6年間だった。
絵に描いたようなよくある家庭。
おじいちゃん おばあちゃん お父さん お母さん お兄ちゃん。
夕御飯は家族みんなで食卓に。お風呂はおじいちゃんから順番に。
こたつにはいってテレビを見ながら、座椅子に座ってお茶を飲んで。
買ってもらったおもちゃでお姫様になって、何度も自慢して見せて。
三輪車で兄を追いかけまわして、怪我ばかりするわたしを心配して。
3月には大きなお雛様が出て、5月には鯉のぼりと兜。
お正月は親戚も集まって、クリスマスには大きなプレゼント。
幸せだった。
父が再婚するまでの間、生家に泊まりに行く度に帰るなと泣かれた。
父が再婚してからは、もう来ては行けないと言って泣かれた。
父の新しい家族と別居してからは、会う度に何もなくても泣かれた。
わたしたちの存在が、どれだけ苦しめたろうと思うと、いたたまれない。
どんどん小さくなっていく祖父母が、田舎の世間体を気にしながら口にも出せず孫を思う気持ちが、大人になるほど胸に刺さって痛かった。
いっその事、離婚の時会わないようにしてくれたら良かったのにと何度も思った。
でもわたしにとって、坂道転がり落ちるような人生の中で、唯一の拠り所だったのは紛れも無く祖父母だった。父も母も、わたしを傷つける裏切りを繰り返した。あの2人だけが、わたしを無条件で愛してくれた。あの家に生まれこの名前を名乗る意味は、あの2人だけだった。
よくある、ありふれた話なんだろう。
もう、あの頃の私よりも、離婚した時の親のほうが年が近い。
仕方がないことなんだ。もうここまでくれば誰も悪くない。
最後に触れた手の感触が消えない。
冷え性のわたしより温かかった。
きっと分かってた。私も、祖母も。最後だって。
祖父の時も同じだった。ぼんやりと、死がそこに見えた。
おじいちゃんのところに行ったかな。
2人は一緒にいてほしい。どんな時も。
だいすきだいすきだいすき。この世の何よりも大すきだ。