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アラサーOLの、もがく日記。

自己管理を考えた末に、思い詰めて沸騰した話。

思考の垂れ流しです、駄文すいません。

 ここのところ、自己管理という言葉を念仏のように脳内で唱えながら日々を過ごしております。

そもそも自己管理とは何か。この言葉は自己啓発だとか自分探しだとか色々な言葉とセットになって幾度となく耳にしてきたし、実際わたしの口からも何度も発せられてきた言葉です。

 頑張るという言葉を多用することによって、自分が何を頑張っているのか、もっと言えば自分が「何をしているのか」そのものを見失ってしまうという事態に陥ることに気付きました。いや、陥ってるingって言ったほうが正しいかもしれない。

人生は長く短く早く遅くなんて色々言われますが(遅くは言われないか)今のわたしにしてみると長くて早いです。前を見れば先が霞んだ長い道が続き、俯いてため息をつきふと顔を上げるとまるで違う景色が広がっています。そんな中自分が「どうして・なぜ・どうやって・どこに向かって」ここにいるのかが分からないというのは、こんなに恐ろしいことはないと思う、今日この頃です。

 

生きる意味 (岩波新書)

生きる意味 (岩波新書)

 
 

「自分が何を欲しているか」よりも「他の人が何を欲しがっているか」を自動的に考えてしまうような「欲求」のシステムを私たちはずっと生きてきた。

 

「人の目」を徹底的に意識することで、社会の公正を保ち、繁栄を得ていこうとするのがグローバリズムであり、まさに「人の目」の上に築かれた一大システムなのである。

 

 自分の「生きる意味」を生きている人の世界には「濃淡」がある。

 

ああなりたい、こうなりたいと言いながら。
あれがしたい、これがしたいと言いながら。
あれをしよう、これをしようと言いながら。
「しなかった」を「出来なかった」に変換し、「気付かないふり見ないふり」を「知らなかった」に変換し、「自分の不甲斐なさ」を「誰かのせい」に変換し、「他人への妬み」を「他人の批判」に変換し、「変わろうとしない」を「これが自分だ」に変換し、
わたしはそうして生きてきて、今、前述のように自己管理について考え鳥瞰的に自分を見てみたら、四方八方に伸びるすべての道に【立入禁止 迂回せよ】の看板を突き立て、同じ場所で全力の足踏み行進を続けていたのです。
 
自己中心的な人間であることを「自分を大切にしている」と勘違いし、惰性を「穏やか」と呼び、他力本願を「協力」と呼び、声高に誰かを責めることを厭わない。情報過多に陥って頭ばかり大きくなるけれど、目の前にある「楽」に流され、楽をした反動の苦労に嘆き、楽しさの対局にある背を向けた現実にいつまでたっても向き合えない。
 
社会に出て、お金を稼ぐということを知って12年。学というものは必ずしも与えられるものではなく、自ら掴まなければならないのだと悟って12年。世の中の格差を、世間と呼ばれるコミュニティーの冷淡さを、肌に刺さるように実感して12年。この12年の間、わたしは世界の誰彼と同じように降り注ぐ24時間という時間を、どんな風に消費してきたんだろう。
いわゆる承認欲求というものを満たすことに大半の時間を費やし、自己採点で常に0点の自分に、嘘でもいいから100点満点の花丸をくれる人やものを探し求めていたように思います。批判されたくない、否定されたくない、褒めてほしい、認めてほしい、「わたしもみんなと一緒でありたい」。
濃淡などない、無色透明な世界です。
 
 
The world is a looking-glass, and gives back to every man the reflection of his own face.
世界は鏡だ。誰でもに、自らの顔を映し出す。
 
 
ウィリアム.M.サッカレーというイギリスの小説家の言葉です。
この世のすべてを妬み尽くし自分の周りのすべてに責任を擦り付け、それでも何もかもが気に入らないと嘆き上手く回らない諸々に嫌気がさし、新たな世界ばかりを夢見ていたとき出合った言葉です。同族嫌悪や理想の押付けを繰り返し、人が離れていっても傷つき憎むしかなかった時、心に深く突き刺さった言葉です。
世界は鏡なんだと、どんな時でも思えれば、どんな状況でも自分を高める理由付が出来ました。美しいものを目にしたとき自分がどこまでも美しい生き物になれるようにさえ思えました。
今、わたしはこの時の心を、もう一度リアルに思い出さなければなりません。現状をもう一度見つめ直し、自分を律し、高めたい。ここ数年でこんなに強く願ったことがないと断言できるほど、変化と成長を望んでいます。
エンジンがかかったような気がするけど、若いときと違ってハイブリット車のようなエンジン(音が静かな)がかかった感じです。ゆっくりと、しなやかに、確実に、これからを生きる自分を形成していく。このブログを始めて少し経った頃から、なんだか渦にのみこまれているような、上昇気流(乱気流気味)が少しずつ起きてるような、変化に向けて少しずつ動くような不思議な感覚にとらわれることが多かったけれど、ようやく本番を迎えとても大事な時期が訪れた気がきます。
 
書籍やネットなど(購読させていただいてるブログも大変参考になります)で勉強し、模索しながらも毎日を記録する中で、たくさんのことに気付きます。
とにかく実行力がないこと、ToDo完了率の低さ、やった気になってる症候群、管理不足なこと、管理が行き届いていること、良質化できたこと、改善が必要なこと、などなど。
最初の2つがとにかくひどい。言い訳すらせず、当たり前に忘れたことにしてスルーしてた。そして、その事実すらこうして本格的に見つめ直さないと「習慣」すぎて気付きもしなかった。数珠つながりで改良していけるよう、まずは『基本的な習慣を作る』ということから始めています。勇み足にはならないように、出来たことにするという行為はだめ、出来なかったという事実はよいと若干甘めな定義付で2月は過ごそうと思ってます。
やり方や書籍紹介はまた別の機会に。
 繰り返すようですが、終わるまで思考の垂れ流しでした。書くこと制御しないブログってことで...。おやすみなさい。