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アラサーOLの、もがく日記。

夏は短し動けよ、わたし。

8月がやってまいりました。
なんだか目まぐるしい日々です。いつまでもこんなミッチリ詰まった毎日を送れるほど自分がパワフルな人間でないことは自覚していますが、今このタイミングにホケーッと集中力を切らしてしまうことは絶対に避けなければと本能が叫んでいたため、理性を踏み潰して7月を過ごしました。
 
7月に単発的に出会った方々は、有り難いことに自分の生活の中には中々いないような人種でして、わたしのような凡々人が「刺激受けたマジいんすぱいあー」とか言っていいものなのか憚られる方々でした。けれど面白いことに、全員揃いも揃って徹底的に謙虚なのです。もっと自慢すればいいのに凄いのに何でなの!と思うことも何事でもないことのように話し、自分のことなどまるで取るに足らないことだというように目の前の誰かの身の上話に熱心に耳を傾けるのです。「そんなの世間一般的によく言われてることじゃん」と言われればそれまでなんですが(わたし自身そう思ってたんですが)いざ目の前で幾度となく繰り返されるそれに「ホントだったんだ」と訳のわからない感動を覚えたのです。自分を誇示したり誇張したりする非生産的な行為に時間を費やすという感覚そのものが存在しないのでしょう。
人間はどこまでいっても人間という生物であることに変わりはないのですが、やはりこんな小さな島国にも幾つもの『世界』があるのだという事実をやんわりと突き付けられました。ジャンルやコミュニティやレベルという言葉で世間的に区切られ出来上がった世界。それなのに全く嫌な気持ちにはならず、むしろその事実が楽しくて仕方ないと思わせてくれるのです。まるで同じ舞台に立っている気でいたけれど、実は舞台袖から眺めていただけだったという感覚を幾度となく経験しました。なぜなら有識な人は誰でもにそういった感情を抱かせてくれるからです。差をつける必要がなく、比べる必要もなく、奪われる恐怖もないから。彼らは常に友であり同志であり、そして手の届かない超凡な存在なのです。それでいて同じ世界にいる人にとってはその全てが「普通」なんですね。土俵が違う、というやつです。
こうして淡々と書いていると卑屈全開に感じられてしまうかもしれませんが、わたしの根底にベットリとへばり付いている諸々のコンプレックスの影響で拒否し続けていた人々が持ち合わせている眩しさを直視することが出来るようになり、嬉しく思ったのです。卑屈でない人を前にして自分だけせっせと卑屈になる必要などなかったのに。そもそも、わたしの理想の中にそびえ立つヒエラルキーのどの階層にも、わたし自身もわたしが向き合うべき相手も、誰一人として存在していなかったのです。その事実に直面した時、自分の頭の天辺から爪の先までベロリと脱皮したい衝動に駆られました。
 
もうホントにね、後戻りできない毎日が後にも先にも続いています。早いとか遅いとか正解とか不正解とかそんなんじゃなくて、エグいほど現実的な「時間」が目の前に突き付けられています。たった一つの選択が、物凄い振り幅をもって未来に影響します。そして自分ではどうにもならない運やタイミングと絡み合って、抗えないスピードで進んでいきます。
この夏、グルングルンと目まぐるしかった毎日の中で、常に問われていたのは『自分は(君は)何者であるか?』ということでした。わたしはしがないOLです。全く特別でもなく全く凄くもなく平々凡々と生きています。それでも不思議なことに、そういった問いが投げかけられるような突き付けられるような場所にポイッと投げ出されます。これは素敵なことです。ふと辺りが静かになったとき急激に不安になるけど、こういうときにこそ手足を動かしていかなきゃなって思うのです。悩んでいる時間はこの上なく無駄です。
悩むなら動く。迷うならいっそのこと休む。
そういった単純なことの繰り返しを丁寧にしていかなければ、この楽しい夏が色を失ってしまう。誰かに寄りかかるのは今じゃない。自分の基準で選んで進んでいかないと。寂しさや孤独感で自分の基準をぶらしてはいけない。とにかく今は吸収して動こう。
自分で選んだものに囲まれ、この夏に出会った人たちと同じように『わたしはこういう人間である』と言外に掲げられるようになりたいと思うのです。
 
と、いうことで。いつも通り着地点の見えない日記でも悩まず迷わず更新します。
暑い日が続きますが、皆さまお体には気を付けてください。水分補給大事です。さて、穏やかで有意義な一週間を。