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アラサーOLの、もがく日記。

チーズと駄文

久しぶりの更新となりました。
思いのたけを詰め込んだ大容量です。(まとまらなかっただけ)
 
唐突にアレですけど、最近わたしチーズが好きです。
ブリーという魚みたいな名前のチーズを甚く気に入っています。ブリーを餌にすればわたしが釣れます。(再放流不可)
給食でさけるチーズが出ると(・∀・)ヨッシャー!!ってなっていた世代のわたしの知識は『さけるチーズ』か『ベビーチーズ』か『kiri』ぐらいのもんでしたが、ここ1ヶ月で随分と知識が増えました。友人が運んできてくれたご縁でチーズに精通する方々との交流が出来、自分の財布事情では絶対に買えない多種多様のチーズを目にし口にする機会を与えていただきました。飲めなかった赤ワインも、名だたるチーズは好物へと変えてくれました。
ブルーチーズなんて最早存在そのものが「ちょっと意味が分からない」って食べ物だったし、饅頭とか餅に生えるヤバいカビを食すとか正気の沙汰じゃないと思っていたし、食べなきゃならない窮地に追い込まれ口にしても美味しいと感じたことはありませんでした。ピザとかグラタンとかパスタとかそれそのものが美味しければその上でグニャってるチーズなんて何だって良かったし、おフランスだとかでワイン片手にチーズ頬張る男爵芋みたいなオッサンを見ても「金持ちは洒落たもん食ってんなー」程度に思っていました。
しかし。
適正な保存状態を経てお皿に出されるチーズのなんと美味しいことか。蜂蜜をかけたゴルゴンゾーラの口の中でとろける美味しさ、モンブリアックの濃厚なクリーミーさと赤ワインとの相性の良さ。これがあのカビル○ル○なのかと田舎者は愕然としました。(ちなみにチーズの青カビは有用菌なので餅や饅頭に生えるヤバい奴とは別物とのこと。念のため。)
ブリーどころかカマンベールが白カビのチーズだなんてことも知らなかったし、某アルプスの少女ドキュメンタリーアニメで暖炉の前で削っていたあのチーズがラクレットという名前のチーズだなんて知ろうとも思わなかった。チーズを担保に融資がおりる国があるなんて知らなかったし、アッチの国の嫁入り道具がチーズ作りの道具だなんて知るはずもなかった。
 
世の中には知らないことが沢山沢山転がっています。どんどん流れ込む「大人の知識」に満たされるのは、こんなにも楽しいのかと驚きます。時間は流れていってしまうから、せめて置き土産の知識や見識だけは自分のもとに留めておきたいと頑張るのですが、なかなかわたしの小さい脳味噌は思うようにいきません。時間と一緒にこぼれていってしまう沢山のものが、今までになくキラキラしていて、過ぎていく時間が切なくてなりません。
わたしはこんなに楽しい世界に生きていたのに、こんなにモノを知らなかったのかと日々思い知らされています。どこにも特別なものなんてなくて、あるのは当たり前にある生活の各々に対する自分の愛情の注ぎ方と、豊かさへの価値観と、心と体を同時に動かす行動力だけでした。
 
その年齢にあった悩みや巡らせる思いって本当にあるんだなぁと思います。20代の終わりを目前に控えて、もうそこにあるゴールテープと30代という新しいグラウンドに意識が集中していたけれど、それも『今』悩むべきことや考えるべきことなんだなぁと思うんですね。相変わらずちょっと何言ってるかわからないけど自分。今、アウトプットしておきたいと強く思っています。わたしの20代ってホントにもう二度と来ないんだって当たり前のことを強烈に痛感しているので。
「わかりきっていることを本当に実感する」って、本当にあるんです。わたしみたいに若いうちから社会にモミクチャペッチャンコにされた頭でっかちな人間は特に、頭の中の『先走り自叙伝』が三部作くらいの超大作に出来上がっていて、新しい書籍を収納する本棚スペースが少ないのです。けどどうしたって、時間は流れてるから昨日の常識が今日の非常識になることがいつでも起こるんです。そうするともう、若いわたしが書いた先走り自叙伝は過去の産物以外の何物でもないのです。それならばもう、新しい教本のために、捨てなければ。
 
 
なるようになる。
 
この言葉の真意をようやく理解しました。
努力はするもんだし計画は練るもんだし将来は案ずるもんだし、そういうことではなくて、それでも結局は『なるようになる』以外、コメントのしようもないのだとわかりました。何かを奪われたり失ったことがある人ほど腹が据わってるなんて大嘘で、奪われた分だけ臆病だし失った分だけ不安でしょう普通。弱い犬ほどよく吠えるってのは本当で、ビクついて恐ろしくて膝ガクブルの自分がみっともないし、自分で自分が1番情けないと思っているからとにかくアレコレ吠えたくて噛み付きたくて仕方ないんですけど、まぁ結局何したって、なるようにしかならないんですよね。たぶんわたしはこれから、なるようになって生きていて死ぬべき時に死ぬんでしょう。そのために今はただ、いるべき場所に自分を持っていく努力や、出会うべき人々に会いにいく行動力や、やるべきことをやるための知識が大事なんだと思います。大事なのはそれだけで、あとはただ、いま目の前にある毎日を愛しんで大切に丁寧に生きていけばなるようになるんです。
 
未だにこのブログには「彼氏 別れ」「28歳 別れ」とか、まぁ世の中どれだけ別れてるんだってくらい「別れ」というワードで検索して、過去の記事にアクセスしてきてくれる人がいます。その言葉をプラウザの検索ボックスに入力するときの気持ちが痛いほどわかって、当時の自分を思い出します。しかし自分であの記事を書いてわかったんですけど、わたしみたいな女が数か月も前に書いた日記に毛が生えたような記事を、未だに1日100人以上の人が「別れ」の検索ワードで見つけて開いているんです。みんな、自分の落としどころを探して彷徨っているように思います。
あの時が、わたしの大きな転機でした。ブログを読んでくださってる方は「執拗いわ。」と思うかもしれませんが、変化の波が押し寄せています。あの時の選択が正しかったのか正しくなかったのかなんて考える必要も暇もないのです。わたしは、なるようになって今に至っています。だから結局、自分の基準と価値観で選んたものが人生を構成していくんだと知りました。わたしは進んでいます。誰の決断も後押ししませんが、とりあえずわたしは、こうして新しいフィールドに足を踏み込んで新しい壁に衝突したり風に髪振り乱したりしながらも進んでいます。だから何だって話ですけど、要は何をどう選択したって前に進んでることに変わりないってことです。
 
なんだか無駄に二部構成みたいになってしまった。いや構成もされてないな、もうこれ終わらないやつからここで終わりにしよう。わたしはチーズの話をしようと思っただけなのに。ここで更新しないと勿体ないので更新ボタン押してしまいます。長文読んで今回も相変わらず長いだけの日記だったなって思った方すいません。
 
今日から10月。大好きな秋がようやくやってまいりました。
今月もがんばりましょう。