さよなら28。
気が付くと月が変わっております。気付いたら7月の後半に片足突っ込んでました。
東京は噂通り、毎日が足早に過ぎていきます。「時間の流れが違う」という使い古された言葉を、身に沁みて感じています。この街は本当に、独特の時間軸で生きているんですね。
わたしはこの街で、あと数時間後に、29歳になります。
29歳の誕生日を、東京で迎えるとは夢にも思いませんでした。ハタチの時も、25歳の時も、去年の誕生日も、ここにいる自分を想像した日はありませんでした。不思議なものですね。
28歳という、一生に一度しか無い一年間、わたしは大きく大きく変わりました。自分でも時折恐怖を感じるほど、物事がメキメキと音を立てて動き出し取り巻く世界がドンデンのように様変わりしました。この一年を振り返ってみると、なんだか夢の様な時間でした。強烈な勢いで運命の歯車が動いたように思います。もしくは、誰かがわたしを在るべき場所に引きずり出し、救ってくれたような気もします。
ここが自分の死に場所かと問われると首を傾げてしまいますが、今生きるべき場所は他でもなくここであるということだけは確信しています。それで十分なんだと今は思います。
すべてのものは、変わっていきます。
思うがままに、在るがままに、変わっていきます。
永遠に続く幸せも、永遠に続く不幸もない。
何もかもが、変わっていくのです。
わたしたちには、結局「今」以外に無いのです。
20代を振り返ると、怒涛の日々でした。
泣いたり怒ったり苦しんだり妬んだり忙しかったなぁって思いますね。誰かと比べて自分を見失って、見失った自分を必死に探して、それの繰り返しでした。
本当に大切にしなければいけないものは、どんな時もわたしに優しくて甘やかしてくれるから、調子に乗って傷付けてしまいました。それでも、愛すべきすべてのものは、子供染みたわたしの愚行をすべて受け入れて、変わらずわたしの人生に寄り添ってくれています。わたしが投げつけた恨みも、叫んだ憎しみもすべて飲み込み、わたしの人生に寄り添っています。わたしはそうやって出来上がっています。多くのものを憎みました。憎んで妬んできました。それも良い経験だったんだろうと思います。「怒りや憎しみが人の生きる糧にはならない」ということを、身を持って感じることが出来ました。
追いかけて追いかけて、泣きながら過去を追いかけて生きてきました。戻らないものを求めて、他人の目に晒されない自分の中だけに美しい過去を閉じ込め、創り上げ、ひたすらその中に沈み込んでいました。誰か救ってくれと言いながら、誰にも触れさせない理想郷を抱きしめて、シクシク泣くことで自分を保っていました。若かったんですね。今も別に年寄りだとは思いませんが、きっとこのリアルタイムの感傷は本当のおばあちゃんになったら忘れてしまうから、噛み締めておきたいです。若くて臆病だった自分を温かい目で見つめられる「今」を噛み締めておきたいです。
すべては本当に変わっていくんです。
終わらないものはないし、止まり続けてるものもない。
すべては時間が前へと押し出し、新しい始まりへと向かうのです。
だから、大丈夫。何がだ?いや、全部。ぜんぶ大丈夫。
否が応でも、後ろ向いてても、結局は進んでくんです。
なんかよくわかんない内容だけど書き直してる時間なさそうです。
もう22時ですね。
今の自分の反省とかは、明日からでいいかな。
28歳最後の夜だから、褒めるだけでいいかな。
28年間の自分を、ひたすら賞賛していいかな。
29歳は勝負の年でしょう。
28歳は変化の年でしたが、20代最後の1年、いよいよ本番が始まると覚悟しています。今わたしの手の中にあるすべてを形にして、根をはやし色をつけていく年になりそうです。それなりに、苦しいことに直面する覚悟をもって、腹据えて挑みます。
ではあと2時間、一生こない28歳を噛み締めて、たぶん0時前には寝ます(笑)
みなさま、ガチの三十路手前に成長したながねこを今後もよろしくお願いします。
良き木曜の夜を。